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心とは

 「心はどこにありますか」、という質問をすると、胸を指す人もいれば頭を指す人もいます。本当は何処にあるのでしょうか。

 心は目に見えません。だから、何処にあるのか、という質問自体おかしいのかもしれません。でも、「心」はありますね。これは誰もがわかることだと思います。

 天理教では、

 人間というものは、身はかりもの、心一つが我がのもの。たった一つの心より、どんな理も日々出る      おさしづ 明治22年2月14日

と教えています。心は何処にあるかが大事なのではなく、心だけが自分のものであり、他のものは全て神様からの借り物だということが大事なのです。

 心は自由に遣うことが出来ますが、この心の遣い方しだいで、幸福にもなれば不幸にもなります。では、どういう心遣いが良いのか、どういう心遣いが悪いのでしょうか。

 教祖は、心遣いを「埃(ほこり)」にたとえて教えてくださっています。お話に、

「それはな、どんな新建ちの家でもな、しかも、中に入らんように隙間に目張りをしてあってもな、十日も二十日も掃除せなんだら、畳の上に字が書ける程の埃が積もるものやで。鏡にシミあるやろ、大きな埃やったら目につくよってに、掃除するやろ。小さな埃は、目につかんよってに、放って置くやろ。その小さな埃が沁み込んで、鏡にシミが出来るのやで。」

とお教え下さいました。

 ほこりには、「おしい」「ほしい」「にくい」「かわいい」「うらみ」「はらだち」「よく」「こうまん」の八つがあります。また、「うそ」と「ついしょ」これ嫌い、と仰せられています。

 このほこりを積まないよう、積んでもすぐ掃除するようにすれば、心は晴天のように晴れやかになり、どんなことも喜びに転じてきます。

 ところが、このほこりを積まないように、というのが難しいのです。悪いと思ってもついやってしまった、ということはありませんか。これが「いんねん」です。いんねんは鏡のシミのようなものです。このいんねんをなくし、日々積んだほこりを払う方法を教祖は教えています。

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