グーグル検索
Google
WWW を検索
「あぶらかわ」を検索
メニュー

みな吉い日

 教祖は、

 「不足に思う日はない。皆、吉い日やで。世界では、縁談や棟上げなどには日を選ぶが、皆の心の勇む日が、一番吉い日やで。」 と、教えられました。

 現代は科学万能の時代といわれますが、日の吉凶を重んじる習慣は厳然として残っています。いくら非科学的だ、迷信だとは言っても、いざ身内で結婚式がある、葬儀をだすという段になると、ほとんどの人がカレンダーをめくるのではないでしょうか。

 大安、仏滅、友引など私たちにおなじみの言葉は六曜といって、もともとは時刻の吉凶を占うのに用いられたようです。暦による占いは古代中国や古代エジプトにもあり長い歴史を持ちます。古代エジプトでは、未来を言い当てられるのが王(ファラオ)であったといいます。六曜が使われ出したのは比較的新しく、江戸の末期。大衆に流布したのは明治に入ってからであります。

 今日が良い日か悪い日かを暦によって判断することは、生活のリズムをつくり、安心を生む上では役立っているかもしれません。日柄に限らず、方位にしてもしかりです。でも、あまり気にしすぎると、弊害も起こるようです。

 「みな吉い日」という言葉は、物事を積極的に受け止め、明るい方向へと切り替えてゆく心の姿勢であります。良い日悪い日が先にあるのでなく、心の姿勢が良い日をつくっていくという、全く逆の発想です。

 明治5年のこと、教祖は生駒山のふもとにある松尾市兵衛宅へ出向かれ、神様をお祀りされました。そのとき、

 「今日は、吉い日やな。目出度い日や。神様を祀る日やからな。」

と、言って、ニッコリとお笑いになった、と伝えられています。

 吉い日だから神様を祀るのでなく、神様を祀る日だから吉い日なのです。

 時間も場所も全てのものが神様のご守護だということが、「みな吉い日」につながるのです。

プリンタ用画面
友達に伝える
今月の言葉
ゆめちゃんのどうして日記
ナオじいちゃんの本日も晴天なり
カメ吉先生の修養科物語
心の処方箋
新着リンク