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ひながた十六

 教祖伝に次のようにあります。
明治八年夏の頃、永年、教祖と艱難苦労を共にしたこかんが身上障りとなり、容体は次第に重くなった。
月日よりひきうけするとゆうのもな
もとのいんねんあるからの事  一一29
いんねんもどふゆう事であるならば
にんけんはぢめもとのどふぐや 一一30
魂のいんねんにより、親神は、こかんを、いつ/\迄も元のやしきに置いて、神一條の任に就かせようと思召されて居た。しかし、人間の目から見れば、一人の女性である。人々が、縁付くようにと勧めたのも、無理はなかった。こかんは、この理と情との間に悩んだ。
教祖伝によると、教祖は三十一歳の時に預かり子をなされ、預かり子が黒疱瘡に掛かった時に、わが子二人の命と引き換えに預かり子の命乞いをされました。神はその願いを聞き入れて、次女おやす様は四歳で迎取りとなり、その生まれ替わりである四女おつね様は、三歳で迎取りになられました。そして、四女おつね様の生まれ替わりが五女こかん様なのです。
こかん様は、生まれる前から人助けをされた方であり、また、くにさづちのみこと様の魂をもって生れたと言われています。
ですから、教祖はこかん様を神の用に使おうと思召されていました。
でも、こかん様はおはる様(教祖の三女)が出直されてから、梶本家から要望されて、小さい子供たちの世話をするようになります。それが一年、二年、三年と延び、その間にこかん様は身上になられます。
こかん様は教祖の思し召しと云う理と、梶本家の子供たち(姉の子供)の世話をすると云う情との間で悩まれたものと思います。
同じように、長男の秀司様も理と情の間で悩まれたと思います。ただ、秀司様の場合は、教祖との親子の情で、高齢の教祖が警察や監獄署で苦労されるのを見るのがしのびなかったのだと思います。
理と情の間で悩むことは私たちにもあります。
でも、私たちの先代は、我が子可愛い、我が親不憫だとの情を断ち切って、理に尽くしてくれたからこそ、現在の私たちがあるのだと思います。

 

 

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