ひながた十五
教祖伝に次のようにあります。
かくて、明治八年六月、かんろだいのぢば定めが行われた。
教祖は、前日に、
「明日は二十六日やから、屋敷の内を綺麗に掃除して置くように。」
と、仰せられ、このお言葉を頂いた人々は、特に入念に掃除して置いた。
教祖は、先ず自ら庭の中を歩まれ、足がびたりと地面にひっついて前へも横へも動かなく成った地点に標を付けられた。然る後、こかん、仲田、松尾、辻ます、櫟枝村の与助等の人々を、次々と、目隠しをして歩かされた処、皆、同じ処へ吸い寄せられるように立ち止った。辻ますは、初めの時は立ち止らなかったが、子供のとめぎくを背負うて歩くと、皆と同じ所で足が地面に吸い付いて動かなくなった。こうして、明治八年六月二十九日、陰暦の五月二十六日に、かんろだいのぢばが、始めて明らかに示された。時刻は昼頃であった。
この「ぢば定め」は、かんろだいを据える場所である「ぢば」を定めると云うことです。この場所は元々は母屋(主に住まいする建物)のあったところです。ですから、ぢば定めは嘉永六年(西暦一八五三年)の母屋の取毀ちから始まっていると言って良いと思います。そして、ぢばにかんろだいを据え、最終的には世界たすけの為のかぐらづとめをすることが目的です。
これより前の明治六年、教祖は飯降伊蔵に命じてかんろだいの雛型を作られました。これは、高さ約六尺、直径約三寸の六角の棒の上下に、直径約一尺二寸、厚さ約三寸の六角の板の付いたものです。そのかんろだいの雛型をぢば定めの後、こかん身上のお願づとめに当り、初めて元のぢばに据えられ、以後、人々は礼拝の目標としました。
ぢばについて、ようぼくハンドブックには次のように記されています。
元初まりに、人間を宿し込まれた地点を「ぢば」といいます。すなわち、全人類の故郷であることから、ぢばを中心とする一帯を親里と呼びならわしています。
ぢばには、親神様のお鎮まりくださる所として、天理王命の神名が授けられ、ぢばを囲んで陽気ぐらしへの世の立て替えを祈念する「かぐらづとめ」が勤められます。
おぢばは、私たち人間にとってとても大切な場所でありますから、私たち親神様の教えを知る者は、おぢばがえりをするのです。