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ひながた十一二

 教祖伝に次のようにあります。
 教祖は、親神の思召のまに/\、明治二年正月から筆を執って、親心の真実を書き誌された。これ後日のおふでさきと呼ぶものである。
 また、このようにも記されています。
 おふでさきには、
 このよふハりいでせめたるせかいなり
 なにかよろづを歌のりでせめ  一 21
 せめるとててざしするでハないほどに
 くちでもゆハんふでさきのせめ 一 22
 なにもかもちがハん事ハよけれども
 ちがいあるなら歌でしらする  一 23
と、耳に聴くだけでは忘れ易い人々の上を思うて、いつ/\までも、親の思いにそのまゝ触れる事の出来るようと、筆に誌し、何人にも親しみ易く覚え易く、和やかに悟りとる事の出来るようにと、歌に誌されたのも、深い親心からである。
 おふでさきがどのように書かれたのかは、教祖伝逸話篇の「22 おふでさき御執筆」によると次のように教祖は仰せられています。  教祖は、おふでさきについて、「ふでさきというものありましょうがな。あんた、どないに見ている。あのふでさきも、一号から十七号まで直きに出来たのやない。神様は、『書いたものは、豆腐屋の通い見てもいかんで。』と、仰っしゃって、耳へ聞かして下されましたのや。何んでやなあ、と思いましたら、神様は、『筆、筆、筆を執れ。』と、仰っしゃりました。七十二才の正月に、初めて筆執りました。そして、筆持つと手がひとり動きました。天から、神様がしましたのや。書くだけ書いたら手がしびれて、動かんようになりました。『心鎮めて、これを読んでみて、分からんこと尋ねよ。』と、仰っしゃった。自分でに分からんとこは、入れ筆しましたのや。それがふでさきである。」と、仰せられた。
 おふでさきは、私たちが信仰をする上での指針を与えるものであると思います。
 おふでさきでは、その時々の事柄や教祖の身内の事を話の台として、書き記されています。これは、間違ったことをすればこうなるとか、こんな事がおこってもこう云う通り方をすれば良い、などと譬えを用いて教え導いておられるのです。
 私たちは言葉に聞くと印象も強く心に残るものですが、時間がたつと忘れてしまいます。でも、文章として残っていれば、いつでも変わらずその思いを知ることが出来ます。
 ですから、おふでさきは常に携えて、読み親しむようにしたいものです。常に読み親しんでいれば、何かの時には心に浮かび教祖の親心を感じることが出来ると思います。

 

 

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