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ひながた 普請とひのきしん一

 教祖伝に次のようにあります。
 元治元年六月二十五日、飯降伊蔵が、初めて夫婦揃うてお礼詣りに帰った時、おさとが、救けて頂いたお礼に、何かお供さして頂きましょう。と言ったので、伊蔵は、お社の献納を思い付いた。
 翌七月二十六日に帰った時、伊蔵夫婦は二人とも、扇と御幣のさづけを頂いた。この日伊蔵から、家内の身上の煩いを救けて頂いたお礼に、お社なりと造って納めたいと存じます。と、取次を通して申上げた処、教祖は、
「社はいらぬ。小さいものでも建てかけ。」
と、仰せられた。
 どれ程の大きさのものを、建てさして頂きましようか。と、伺うと、
「一坪四方のもの建てるのやで、一坪四方のもの建家ではない。」
と、仰せられ、更に、
「つぎ足しは心次第。」
と、お言葉があった。次いで、秀司が、どこへ建てさして頂きましようか。と、伺うと、
「米倉と綿倉とを取りのけて、そのあとへ建てるのや。」
と、仰せられ、つゞいて、
「これから話しかけたら、出来るまで話するで。」
と、お言葉があった。
 これは、おみちにおける最初の普請です。そして、その建物をつとめ場所と云います。
 教祖は、「社はいらぬ」と仰いました。それは、親神様をお祀りする社ではなく、おつとめをする場所、今でいうところの神殿を建てよ、と云う意味であろうと思います。
 また、「一坪四方のもの建てるのやで、一坪四方のもの建家ではない。」というのは、二代真柱様はこの一坪四方と云うのは、元始まりにおいて人間を宿し込まれた場所であると言っておられます。つまり、人間が住む場所ではないと云う意味で、建家ではないと。
 教祖は先を見越してお話をされているのです。
 この時から十一年後の明治八年六月に「ぢば定め」が行われました。ぢばの場所はまさに、つとめ場所のすぐ近くだったのです。つとめ場所はぢばに向かっておつとめをするように作られたのです。
 天理教本部の神殿は、昭和九年に南礼拝場が出来て、初めてぢばを囲んでおつとめをするようになりました。これが教祖の言われた神殿であろうと思います。

 

 

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