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ひながた

 天理教の信仰は、「おみちをとおる」と云います。どのように通ったら良いのか。教祖伝には次のように記されています。
「ひながたの道を通らねばひながた要らん。ひながたなおせばどうもなろうまい。・・・ひながたの道より道無いで。」(明治二二・一一・七 刻限)
教祖は、尊い魂のいんねんのお方であり、月日のやしろに坐す御身を以て、説いたゞけでは救かる道を歩もうともせぬ一列人間に、救かる道を教えようとて、自ら先頭に立って、どのような中をも通り抜け、身を以て万人の救かるひながたを示された。
ひながたの道を歩まぬならば、ひながたは要らぬ。
教祖が五十年の長い間、身を以て示されたひながたこそ、我々道の子が陽気ぐらしへと進むたゞ一條の道であって、このひながたの道を措いて外に道はない。教祖が、いかなる中をも陽気に勇んで通られた、確かな足跡があればこそ、我々人間は、心安く、どのような身上事情の中からも、勇んで立ち上る事が出来る。
教祖伝や教祖伝逸話篇の中から、ひながたの一つ一つを考えてみたいと思います。
教祖は五十年のひながたの内、半分の二十五年は難儀不自由の中を通られました。その中でも、月の光を頼りに、親子三人で糸を紡がれた。秀司もこかんも手伝うて、一日に五百匁も紡がれ、
「このように沢山出来ましたかや。」
と仰せられる日もあった。普通、一人一日で四十匁、夜業かけて百匁と言われて居たのに比べると、凡そ倍にも近いお働き振りであった。・・中略・・
こかんが、お母さん、もう、お米はありません。と、言うと、教祖は、
「世界には、枕もとに食物を山ほど積んでも、食べるに食べられず、水も喉を越さんと言うて苦しんでいる人もある。そのことを思えば、わしらは結構や、水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお与え下されてある。」
と、諭された。  このように、どんな難儀不自由の中も、心を倒さずに、この世は親神様の御恵に満ち溢れていることを教えられました。
教祖は何不自由ない大農家の奥様でしたが、貧しい者への施しにその家財を傾けて、赤貧のどん底へ落ち切る道を急がれました。
それは「物を施して執着を去れば、心に明るさが生れ、心に明るさが生れると、自ら陽気ぐらしへの道が開ける」、と自らその手本を示されました。
教祖は誰でもできる、陽気ぐらしへの道を教えられたのです。

 

 

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