グーグル検索
Google
WWW を検索
「あぶらかわ」を検索
メニュー

一手一つ

 一手一つという言葉は天理教ではよく使われます。
つとめ人衆が、親神にもたれ、呼吸を合せてつとめる時、その心は、自と溶け合うて陽気になり、親神の心と一つとなる。この一手一つに勇む心を受け取つて、親神もまた勇まれ、神人和楽の陽気がここに漲る。(天理教教典第二章)
月次祭のおつとめを勤める時大事なことは、手振りを間違えない事や、鳴物のリズムやメロディーを間違えない事ももちろんですが、もっと大事なことは一手一つに心を合わせることです。
実際におつとめを勤めると、メロディーは合っているのにテンポがずれているとか、手振りは間違っていないのに六人の手が揃っていない、等の時は心が勇めないと云う経験があります。
それは、おつとめの芯に心を合わせていないからだと思います。
おつとめの芯は地方です。おてふりをする人も鳴物を勤める人も、地方の歌を良く聞き、その歌に合わせて踊りまた演奏するように心掛けねばなりません。
また、鳴物の芯は拍子木です。他の鳴物を勤める人は拍子木の音を良く聞き、拍子木のテンポに合わせて演奏しなければなりません。それが出来て初めて一手一つになったと言います。
一家の陽気は隣人に及び、多くの人々は、われもわれもと相競うて、ひのきしんにはげみ、世界には、一手一つの陽気が漲つてくる。かくて、親神の望まれる陽気ぐらしの世が現れる。(天理教教典第八章)
陽気ぐらしは、自分だけ勇んで暮らしていれば良いと云うものではありません。自分だけでなく、家族が友人知人が、同じ職場や地域の人達が共に喜び共に勇むことが本当の陽気ぐらしです。
そのためには、信仰する私達が親神様の教えを実践し、その心を周りの人達に写していかなければなりません。それがにをいがけです。
一つに心合せるのは、一つの道の理に心を合せることで、この理を忘れる時は、銘々勝手の心に流れてしまう。一手一つの心に、自由の守護が頂ける。いかに多くのものが相集つても、一手一つの理を欠くならば、親神に受け取つて頂けない。(天理教教典第八章)
教会に集い同じ信仰する者は、親神様の教えに心を合わせていくことが大事です。教えは一つですが、めいめい勝手に理解すると一手一つにはなれません。
陽気ぐらしの道場としての教会は、めいめいが教えを求めて、親の思いに近づいていかなければなりません。そして、一手一つとなるよう心掛けることが大事だと思います。
そこに、親神様のご守護と十分なお働きを頂くことが出来るのです。

 

 

プリンタ用画面
友達に伝える
今月の言葉
ゆめちゃんのどうして日記
ナオじいちゃんの本日も晴天なり
カメ吉先生の修養科物語
心の処方箋
新着リンク