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明けましておめでとうございます

 立教百八十二年も明けて、新たな気持ちで過ごされている事と思います。
 先月号で、たんのうが出来るようになるためには、自分のいんねんが分からねばならない、と書きました。
 では、いんねんとは何でしょうか。
 いんねんは漢字では因縁と書いて、仏教用語では「事物を生ぜしめる内的原因である因と外的原因である縁。事物・現象を生滅させる諸原因。また、そのように事物・現象が生滅すること」とあります。また、一般的には「前世から決まっていたとして、そのまま認めざるを得ないこと。宿命」という意味があります。(大辞泉)
 天理教の原典では、いんねんと云う言葉は、みかぐら歌には出てきません。おふでさきには、十三回出てきますが、ほとんどが元のいんねんについてです。ところが、おさしづには千三百九十回も出てきています。
 つまり、原典では、いんねんと云うのはどういう事かとの説明は無いのです。ケースバイケースの具体的な説明なのです。
 いんねんは、天理教教典では次のように記されています。
 人間は、心一つは我の理と許されて生活すうちに、善き種子もまけば、悪しき種子もまいて来た。善き事をすれば善き理が添うて現れ、悪しき事をすれば悪しき理が添うて現れる。
 およそ、いかなる種子も、まいてすぐ芽生えるものではない。いんねんも、一代の通り来りの理を見せられることもあれば、過去幾代の心の理を見せられることもある。己一代の通り来りによるいんねんならば、静かに思い返せば、思案もつく。前生いんねんは、先ず自分の過去を眺め、更には先祖を振り返り、心にあたるところを尋ねて行くならば、自分のいんねんを悟ることが出来る。これがいんねんの自覚である。
 親神が、種々といんねんを見せられるのは、それによつて人々の心を入れ替えさせ、或は勇ませて、陽気ぐらしをさせたい、との篤い親心からであつて、好ましからぬいんねんを見せられる場合でさえ、決して、苦しめよう困らせようとの思召からではない。いかなる中も、善きに導かれる親心にもたれ、心を治めて通るならば、すべては、陽気ぐらしの元のいんねんに復元されて、限りない親神の恵は身に遍く、心は益々明るく勇んで来る。
 正文遺韻(教祖の話を先人がまとめたもの)には次のように書いています。
 いんねんというは、前生ばかりいんねんというのじゃない。悪気ばかりがいんねんじゃない。この世でも、十五歳よりこのかた、してきたことは、良きも悪しきも、みないんねんとなる。又、前生良きことしてあれば、いんねんとなりて、この世で現れるか、次ぎの世で現れるか、必ず現れないということはない。悪しきこともその通りである。
 いんねんとは、自分の通った道であり、心づかいの積み重ねが後で現れてくる事です。
 現在の自分の姿を顧みて、過去の自分の行動のいんねんと悟り、悪しきいんねんから良きいんねんへと切り替えていく事が大事なのです。


 

 

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