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たんのう

 天理教の信仰の角目の一つに「たんのう」があります。
 たんのうは漢字では堪能と書いて、一般的には「十分に満足すること、気が済むこと、納得すること」という意味があります。(大辞泉)
 また、仏教の言葉としては「よくたえ忍ぶ能力」という意味があります。(同)
 たんのうは、天理教教典では次のように記されています。
 たんのうは、単なるあきらめでもなければ、又、辛抱でもない。日々、いかなる事が起ろうとも、その中に親心を悟つて、益々心をひきしめつつ喜び勇むことである。
 天理教の原典では、たんのうと云う言葉は、みかぐら歌やおふでさきには出てきません。ところが、おさしづには千三百回も出てきています。
 天理教の原典の中で、みかぐら歌は総論、おふでさきは本論、おさしづは各論であると言われています。総論とは概要、まとめと云った意味です。本論は基本的な教理、各論はケースバイケースの教理と云ったところでしょうか。
 おみちの先人が教祖からお聞きした話をまとめたものの中に、次のような話があります。
 世の中は、同じ人間といっても、貴きもあれば卑しきもある。豊かな者もあれば、難儀な者もある。又難儀といっても、難儀の中の難儀もあれば、不自由の中の難儀もある。それ、上を見ても切りがないし、下を見ても切りがない。みな前生のいんねんでなること。すれば、どういうことでも、みなめいめいに下を見て、日々これで結楕と、たんのうするが第一。
 そこで、いかなるもたんのう。みな面々たんのうして、又人にもたんのうさせるようという。人に腹を立てさせぬよう、人の喜ばぬこと、人のいやがることをしないよう、言わないよう。あの人は良い人や、あの人の言うことは角がない、あの人のすることはみな丸い、あの人のようでなければいけないと、人に思われ、人に喜ばれ、世界みな満足してくれる。これを、人にたんのうさせたという。
 私たちは皆、生まれた時、生まれた場所、育った環境が同じ者は一人としていません。戦争直後のように物の無い時代に生まれた者も居れば、現在のように裕福な時代に生まれた者もあります。金持ちの家に生まれた者もあれば、貧乏な家に生まれた者もあります。
 また、健康で丈夫な体で生まれた者もいれば、障害のある不自由な体で生まれた者もあります。
 このようにいろいろな人間が居ますが、誰もが陽気ぐらしが出来ると、教祖は教えられているのです。
 自分の事を振り返り周りを見て、今の自分は結構だ、有難いと思う事が「たんのう」です。
 でも、このたんのうが出来ないのです。たんのうが出来るようになるためには、自分のいんねんが分からねばなりません。


 

 

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