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かんろだい

 今年の七月二十六日、かんろだいを倒されると云うふしをお見せいただきました。
 そこで、かんろだいについて考えてみたいと思います。
 教祖は人間に陽気ぐらしをさせたいと云う親心から、おつとめを教えられました。おぢばで勤められるおつとめを、かぐらづとめと言います。
 かぐらづとめは、十人のつとめ人衆が、かんろだいを囲み、親神の人間世界創造の働きをそのまゝに、それ/\の守護の理を承けて、面をつけ、理を手振りに現わして勤められます。地歌鳴物の調子に従い、親という元という理一つに溶け込んで、一手一つに勤める時、親神の創造の守護は鮮やかに現われ、いかなる身上の悩みも事情の苦しみも、悉く取り除かれて、この世は次第に陽気ぐらしの世界へと立替わるとお教え頂いています。
 教祖は、明治六年、飯降伊蔵に命じてかんろだいの雛型を作られました。これは、高さ約六尺、直径約三寸の六角の棒の上下に、直径約一尺二寸、厚さ約三寸の六角の板の付いたものでありました。出来てから暫く倉に納めてありましたが、明治八年ぢば定めの後、こかん様の身上のお願づとめに当り、初めて元のぢばに据えられ、以後、人々は礼拝の目標としました。
 おふでさきでは、かんろだいは、人間創造の証拠として元のぢばに据え、人間創造と成人の理を現わし、六角の台を、先ず二段、ついで十段、更に一段と、合わせて十三段重ねて、その総高さは八尺二寸、その上に五升入りの平鉢をのせ、天のあたえたるぢきもつを受ける台である、と教えております。
 また、心の成人につれて、かんろだいの仕度もまた進み、この台を囲み、人衆を揃え心を一つにして勤める時、親神は、天のあたえたるぢきもつを授けられ、どのような願も皆、鮮やかにかなえられるのです。
 明治十四年の春から、かんろだいの石普請が始まりました。順調に進み、秋の初めには二段迄出来ました。しかし、その直後石工七次郎が突然居なくなり、測らずも、石普請は頓挫してしまいました。
 おふでさきでは、人々の心の成人につれ、又、つとめ人衆の寄り集まるにつれて、かんろだいは据えられる、と、諭されていますが、この思いがけないふしは、余りにも成人の鈍い子供心に対して、早く成人せよ、との、親心ゆえの激しいお急込みであったのです。
 二段迄出来たかんろだいの石が取り払われた後は、小石が積まれてあったそうです。人々は、綺麗に洗い浄めた小石を持って来ては、積んである石の一つを頂いて戻り、痛む所、悩む所をさすって、数々の珍らしい守護を頂きました。
 現在のかんろだいは、木製で、石のかんろだいに対して、雛型かんろだいと言います。
 昭和九年の神殿普請の時に初めて据えられました。かんろだいは雨うたしと教えられていますので、かんろだいの上の屋根には六尺四方の天窓が設けられており、かんろだいには雨が当たりますから、定期的に据え替えられています。


 

 

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