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教祖伝を拝読して その十二

 明治十六年陰暦十月二十六日、教祖は、親神のお指図のまに/\、刻限の来るのを待って、それまで居間とされていた中南の門屋から、この年の秋に竣工になった御休息所に移られました。
 お移りの準備は出来ましたが、教祖は親神様の思召しに添って刻限を待っておられます。いよいよ刻限となり、教祖は孫のたまへ様の手を引かれて、御休息所へ移られました。時刻は真夜中頃でありました。
 教祖はどんなことでも親神様の思召し通りにされるのでした。
 明治十五年から十七年までの三ヶ年は、教祖はたびたび御苦労下されました。御苦労とは、警察署又は監獄所への拘留であります。
 それは明治十五年には二月に一日、十月に十二日間、明治十六年は八月に二日間、明治十七年は三月に十三日間、四月に三日間、五月に三日間、六月に三日間、八月に十二日間と計八回御苦労下されました。
 拘留されることに対して教祖は「連れに来るのも親神なら、呼びに来るのも親神や。ふしから大きいなるのやで」
と、仰せられ、更に、
「何も、心配は要らんで。この屋敷は親神の仰せ通りにすればよいのや」
と、諭して、徒らに眼前の出来事に驚く事なく、刻々現われて来る事の中に親神の思召を悟り、ふしから出て来る芽を楽しみに、時旬の理に添うて勇んで働け、と教えられました。
 度々の御苦労でありましたが、お帰りの時には、
「ふしから芽が出る」
とのお言葉通り、その度毎に、お迎えの人は尚も増すばかりでありました。
 当時、人々の胸中には、教会が公認されて居ないばっかりに、高齢の教祖に御苦労をお掛けする事になる。とりわけ、こゝ両三年来西も東も分らない道の子供達の心ない仕業が、悉く皆、教祖に御迷惑をお掛けする結果になって居る事を思えば、このまゝでは何としても申訳がない。どうしても教会設置の手続きをしたい、との堅い決心が湧き起こりました。
 これが教会設置運動へと繋がっていくのです。

 

 

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