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教祖伝を拝読して その十一

 明治二年正月より執筆されたおふでさきは、明治十五年の第十七号が最後で、
 これをはな一れつ心しやんたのむで 一七 75
を以て、結ばれて居ます。
 これでおふでさきは完成しました。教祖は、何人もこのおふでさきに照らし合わせて、日々の生活の中で親神様の親心を悟り、勇んで陽気暮らしをするようにと諭されました。
 かんろだいが取り払われた後は、官憲の取り締まりは教祖に向けられ、この年明治十五年から教祖の御苦労が続くことになります。
 教祖は常に一貫してたすけづとめを急き込まれ、明治十五年十月十二日から二十六日まで、教祖自ら北の上段の間にお出ましの上、毎日々々つとめが行われました。
 ところが、信仰の浅い信者による事件が警察沙汰となり、また熱心な信者が警察と口論するなど警察を刺激したため、取り締まりが一層きびしくなりました。
 教祖に親神様の思召しを伺いますと
「さあ海越え山越え/\/\、あっちもこっちも天理王命、響き渡るで響き渡るで」
との事でありました。今で言う宣伝がされたと云うように、良い方に解釈するようにとの事だと思われます。
 明治十六年の夏は、三島村は長い間の旱魃つゞきで、田圃にはひゞが入り、稲は葉も茎も赤くなって、今にも枯れん有様と成りました。村の人々は、お屋敷へやって来て、「雨乞づとめをして下され。氏神の境内にておつとめして下され。もし、警察から取調べに来たら、私達が頼んだのであると言うて、決して御迷惑はかけません」と、繰り返し/\懇願しました。
 そこで教祖に伺うと、お言葉があって、
「雨降るも神、降らぬのも神、皆、神の自由である。心次第、雨を授けるで。さあ掛れ/\」 と、仰せられました。
 雨乞づとめが勤められると、不思議と一点の曇りもない青空に墨をすったような黒雲が現れ、激しい大雨となりました。
 皆がお礼の参拝をしていると、警官がやって来て何をしているかと問いただしたので、村の頼みで雨乞づとめをしましたと答えました。警官が村役人を呼んで雨乞を頼んだかと尋問すると、村役人はその場の空気に怖れをなして、知りません、頼みませんと言い逃れました。
 雨乞づとめに参加した人々は、雨でずぶ濡れのまま警察署へと拘引されました。
 このように、明治十六年はあちこちで雨乞づとめが勤められました。

 

 

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