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教祖伝を拝読して その九

 高齢の教祖にお目に掛った人々は皆、譬えようもない神々しさと、言葉に尽せぬ優しさとを覚え、その面影は次のようであったと云います。
教祖は、中肉中背で、やゝ上背がお有りになり、いつも端正な姿勢で、すらりとしたお姿に拝せられました。お顔は幾分面長で、色は白く血色もよく、鼻筋は通ってお口は小さく、誠に気高く優しく、常ににこやかな中にも、神々しく気品のある面差であられました。
お髪は、年を召されると共に次第に白髪を混え、後には全く雪のように真白であられたが、いつもきちんとけずって茶筅に結うて居られ、乱れ毛や後れ毛など少しも見受けられず、常に、赤衣に赤い帯、赤い足袋を召され、赤いものずくめの服装であられました。
眼差は、清々しく爽やかに冴えて、お目に掛った人々は、何人の心の底をも見抜いて居られるというのはこのような眼か、と思ったそうであります。
足腰は、大そう丈夫で、年を召されても、腰は曲らず、歩かれる様子は、いかにも軽ろやかで速かったそうであります。
お声は、平生は優しかったが、刻限々々に親心を伝えられる時には、響き渡るような凛とした威厳のある声で、あれが年寄った方の声か、と思う程であられました。
また教祖は、子供に対しても、頗る丁寧に、柔らか優しく仰せられたと云います。
人間は、親神によって創造され、その守護によって暮して居ます。故に、親神と人間とは真の親子であり、この世の人間は一列兄弟であります。
教祖の心は月日の心、月日の心とは親神の心であります。教祖の心こそ、無い人間無い世界を創められた元の神・実の神、親神天理王命の心であります。
このよふハりいでせめたるせかいなり
なにかよろづを歌のりでせめ  一 21
せめるとててざしするでハないほどに
くちでもゆハんふでさきのせめ 一 22
なにもかもちがハん事ハよけれども
ちがいあるなら歌でしらする  一 23
と教祖は、耳に聴くだけでは忘れ易い人々の上を思うて、いついつまでも、親の思いにそのまゝ触れる事の出来るようと、筆に誌し、何人にも親しみ易く覚え易く、和やかに悟りとる事の出来るようにと、歌に誌されました。それが「おふでさき」です。
教祖は、おふでさきを通して切々の親心を述べておられます。

 

 

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