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教祖伝を拝読して その六

 今月は、第六章「ぢば定め」をまとめてみます。
教祖は、明治二年正月から「おふでさき」をご執筆されました。
おふでさきは、親神様の思召によって、筆を執って千七百十一首のお歌をしるされ、十七号にまとめたものです。
この年、長男秀司様が小東まつゑ様と結婚されました。秀司様が四十九才、まつゑ様が十九才です。
おふでさきの最初に、この結婚について記されています。大意は次の通りです。
世間の人々は、この結婚を、年齢の点から不自然に思うて、可笑しく思うであろうが、いくら笑うても、その人達は親神の真意を知らないからで、この結婚は相互のいんねん寄せるのであって、夫婦の縁を結ぶという事は人生の根本であるから、何よりもこれが一番肝心である。
教祖はたびたび断食をされています。長い時で七十五日間の断食をされています。そして断食をしている時でも普段と同じように過ごされ、目に示して月日のやしろであることを現わされたのです。
明治五年九月から、別火別鍋と言って、日常用いる炊事の火と区別して、別のかまどの火で調理した物を召されるようになりました。これは断食と同じように月日のやしろにおわす所以を姿に現わされたものです。
明治六年に、教祖はかんろだいの雛型を飯降伊蔵に命じて作らせました。実際に据えられたのは、明治八年ぢば定めの後、こかん様の身上のお願いつとめの時で、以後、人々の礼拝の目標となりました。(その後変遷が続き、今の雛型かんろだいが据えられたのは昭和九年十月十五日です)
教祖は、梶本惣治郎の三男眞之亮様を一日も早く、真柱として名実共に、道の内を治める中心となるよう急き込まれました。慶應元年、三女おはる様が懐妊の時「しんばしらの眞之?やで」と仰せられた眞之亮様は、明治七年には九歳になられました。
教祖はかねてから、かぐら面の制作を里方の兄前川杏助に依頼しておられましたが、明治七年六月十八日、教祖は、秀司様、飯降、仲田、辻等の人々を供として、かぐら面を前川家へ迎えに行かれました。教祖は「これで陽気におつとめが出来ます」と仰せられ、初めて一同面をつけておてふりを試みられました。

 

 

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