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教祖伝を拝読して その5

 今月は、第五章「たすけづとめ」をまとめてみます。
教祖は世界中の人間に陽気ぐらしをさせたいとの親心から、よろづたすけの道として、たすけづとめを教えられました。
教柤のたすけ一条のひながたの道は、つとめ完成に向けての模様立てを進められた道すがらであります。
つとめには、かぐらづとめとてをどりがあります。
かぐらづとめは、元のぢばにおいて十人のつとめ人衆が、かんろだいを囲み、親神様の人間世界創造の働きをそのままに、それぞれの守護の理をうけて、かぐら面をつけ、理を手振りに現わして勤めます。
このつとめは、地歌、鳴物の調子に従い、一手一つに勤めます。
そしてこのつとめにより、いかなる身上の悩みも事情の苦しみも、ことごとく取り除かれて、この世は次第に陽気ぐらしの世界へと立替わるのです。
てをどりは、かんろだいのぢば以外の所でも勤める事をゆるされています。
かぐらづとめとてをどりの地歌を合わせた、つとめの地歌の書きものをみかぐら歌と云います。
教祖は、慶応二年から明治八年にかけてみかぐら歌をお教え下さいました。また、満三年かけて節付けと振付を教えて下さいました。
その時教祖は、
「これは、理の歌や。理に合わせて踊るのやで。たゞ踊るのではない、理を振るのや。」
と、仰せられ、又、
「つとめに、手がぐにゃぐにゃするのは、心がぐにゃぐにゃして居るからや。一つ手の振り方間違ても、宜敷ない。このつとめで命の切換するのや。 大切なつとめやで。」
と、理を諭されました。
教祖は、明治十年に女鳴物を教えられました。また、明治十三年に初めて鳴物をそろえておつとめを勤められました。
明治十五年には、みかぐらうたの一部改まりました。「いちれつすます」は「いちれつすまして」と改まり、「あしきはらひ」も「あしきをはらうて」と改まりました。
お屋敷はお手振りの稽古の人たちで賑わっていました。でも、神職、僧侶、山伏、医者などの反対や排斥の動きが表面化して、庄屋敷村を所轄する役所である古市代官所はお屋敷の動静を注視するようになりました。
そこで、教祖の長男秀司様を中心にして、慶応三年六月に吉田神祇管領に出願し、同年七月二十三日付けで認可を得ました。これが応法の道の最初です。

 

 

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