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教祖伝を拝読して その4

 今月は、第四章「つとめ場所」をまとめてみます。
元治元年、飯降伊蔵さん(後の本席様)は奥さんの産後の患いをたすけて頂いたお礼に、何か建てさせて頂きたいと思い、飯降伊蔵さんを中心に三間半に六間の建物を普請しました。これが「つとめ場所」です。
このつとめ場所のふしんの時に、大和神社のふしがありました。ふしんに携わった人達が山中忠七さん宅へ行く途中、大和神社の前を通る時に太鼓や拍子木を打ち鳴らして神名を唱えたのですが、それを咎められて三日間留め置かれたのです。
大和神社のふしでほとんどの人が離れていく中、飯降伊蔵さんだけはおやしきに通い、一人でつとめ場所のふしんを完成させたのです。
元治二年につとめ場所は完成しました。その後教祖はここをお居間とされ、毎日寄り来る人々に諄々とお話をされたのです。
つとめ場所のふしんは本教最初のふしんであり、めいめいの心の真実を見定めた心のふしんであり、またひのきしんの場でもあります。またこのつとめ場所は、最初の神殿とも言えるものです。明治二十一年に教会本部が設置され、その開筵式を迎える時に、南側の隣接のかんろだいのぢばを屋内に取り入れて、神床・上段部分を増築し、神殿として使用しました。
教祖は外からの反対攻撃は悪風に譬えて、「悪風というものは、いつまでもいつまでも吹きやせんで。吹き荒れている時は、ジッとすくんでいて、止んでから行くがよい。悪風に向こうたら、つまづくやらこけるやら知れんから、ジッとしていよ。又、止んでからボチボチ行けば、行けん事はないで。」と、お諭し下されました。
でも、内からの反対は厳しく対処されました。助造事件というのがあります。
針ヶ別所村の助造という者がありました。眼病を救けられ、初めの間は熱心に参詣して来ましたが、やがて、お屋敷へ帰るのをぷっつりとやめて了ったばかりではなく、針ヶ別所村が本地で、庄屋敷村は垂迹である。と、言い出したのです。
これに対して教祖は、祀ってあった御幣を取り払わせ、理非曲直をただしたのです。

 

 

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