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教祖伝を拝読して その2

 今月は、第二章「生い立ち」をまとめてみます。
 教祖は、寛政十年四月十八日朝、大和国山辺郡三昧田に、前川半七正信の長女として生れられました。
 教祖は、三歳の頃から、なさる事が他の子供と異って居たので、近所の人々も、人並すぐれた珍らしいお子やと言われていました。
 十三歳の時に、庄屋敷村の中山家へお嫁に行かれ善兵衛様の妻となられました。  夫にはよく仕え、義父母には孝養を尽くし、申し分のない嫁でしたが、子供がいないのがただ一つの気がかりでした。
 ある時、夫の寵愛を受けた女衆が毒を盛って教祖を亡き者にしようとしましたが、教祖は、
「これは、神や仏が私の腹の中をお掃除下されたのです。」
と、その女衆を許されたのです。
 かくて、二十四歳の時に長男秀司様を出産されました。お子様は秀司様を筆頭に一男五女でありました。
 また教祖は、盗みを働こうとしたものを許されたり、怠け者を感化したり、門口に立った貧しい女性の子供に自分の乳をあげたりと、慈愛の溢れる方でした。
 三十一歳の頃、近所で乳不足で困っている家の子供を世話して居られた処、その子が黒疱瘡となり、医者が匙を投げたが、教祖は神仏に祈り、子供二人の命を捧げ、足りなければ自分の命までもとお願いしたところ、不思議にもその子は救かりました。
 後日のお話によると、願通り二人の生命を同時に受け取っては気の毒ゆえ、一人迎い取って、更にその魂を生れ出させ、又迎い取って二人分に受け取った、との事でありました。
 その二人の子供とは、次女おやす様と四女おつね様で、おつね様の生まれ替わりが五女のこかん様です。だから、こかん様は子供の命を助けた徳をもって、教祖と一緒にこの教えを伝えられたのです。

 

 

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