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おぢばがえり

 親と云う字は、立木を見ると書きます。
 立木を見ると、幹があり枝があり、枝には葉が付いて花が咲きます。
 でも、見えない部分があります、それは根です。根から栄養が水が幹を通って枝へ行き、葉を生えさせ、花を咲かせ、実を成らせるのです。
 根は親です。親は子供に衣食住を与え、教育を与え、愛情をもって子供を育てます。つまり、私たちは親に(親代わりの人に)よって育てられ、大人になります。そしてそれが当たり前だと思っています。でもそうでしょうか。
 根が見えないように、親が子供を育てるのは当たり前だと思うことが、親の恩を見えなくしているのです。
 根が分かるようになれば、親の恩が分かるようになれば、親に感謝し優しい心になります。また、子供を育てる上でも、親に育ててもらったように、愛情をもって育てていくと思います。
 親の恩が分かれば、家庭の不和も子供の非行も無くなるでしょう。
 また、天理教の信仰の根はおぢばです。おぢばは人間が宿し込まれた処です。いわば人類の故郷です。
 ぢば一つに心を寄せよ。ぢば一つに心を寄せれば、四方へ根が張る。四方へ根が張れば、一方流れても三方残る。二方流れても二方残る。太い芽が出るで。(天理教教祖伝逸話篇 187 ぢば一つに)
 私達の信仰を考えてみますと、始まりはおぢばであり教祖です。教祖から始まった信仰です。
 当教会の信仰も、元をたどれば初代会長さんが浪岡の初代会長さんに救けられたところから始まります。浪岡の初代さんは太田丹五郎さんに、太田丹五郎さんは城山大教会(その当時は分教会)の布教師に救けられました。
 そして、城山から山名へ、山名からおぢばへと繋がっていき、教祖に繋がるのです。
 私達は、おぢばを根にした大きな信仰の木の枝の一つのようなものです。城山と云う幹を通り、浪岡と云う太い枝を通り、油川と云う枝に咲いた花であり実です。大きな花を咲かすのも、大きな実を成らせるのも、神様のご守護と云う栄養が、おぢばから城山へ、城山から浪岡へ、浪岡から油川へと流れてくるからなのです。
 ですから、上級の浪岡を通し、大教会、おぢばへと心も運び、身も運び、道を造ることが大事なのです。
 神様のご守護の道を造るために、浪岡に参拝し、大教会に参拝し、おぢばに帰るのです。

 

 

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