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明けましておめでとうございます

 今年は教祖百三十年祭の年です。一月二十六日には年祭が執行されます。
教祖は今から百三十年前の明治二十年陰暦正月二十六日に現身を隠されました。
何故教祖は現身を隠されたのでしょうか、その時おそばにいた人々に対し、御本席様の口を通して
子供可愛い故、をやの命を二十五年先の命を縮めて、今からたすけするのやで。しっかり見て居よ。今までとこれから先としっかり見て居よ。  さあ、これまで子供にやりたいものもあった。なれども、ようやらなんだ。又々これから先だん/\に理が渡そう。
と、お言葉がありました。また続いて
子供可愛いばっかりに、その心の成人を促そうとて、まだこれから先二十五年ある命を縮めて、突然身をかくした。今からいよいよ、世界を駈け巡ってたすけをする。しっかり見て居よ。今迄とこれから先と、どう違うて来るか確り見て居よ。
とのお言葉もありました。
このお言葉を思案すれば、一つはおつとめの急き込みです。教祖が仰せの通りおつとめをすれば、官憲が教祖を監獄に連れて行く、だからおつとめがなかなか出来なかったのですが、教祖にとってはそれが残念なことだったと思います。
また、親が居れば子供はなかなか成人しない、親に頼ってしまう、ということだろうと思います。これは肉親の親子でも同じだと思います。その当時の人々は、何でも教祖にお聞きすれば教えて下さるから自分で思案することが少なかったのでしょう。それで、その人々が成人するようにとの深い親心から、教祖が御身をお隠しになったのだと思います。
また一つは、おさづけです。教祖ご在世当時は教祖がその人の真実を見定めておさづけを渡されたのですが、それでは多くの人におさづけを渡すことが出来なくなる。そこで別席順序を運び願い出れば、誰にでもおさづけを授けて下さる事になったのです。それは教祖が扉を開いて世界中を飛び回り、用木に入り込んで働かれるからなのです。
だん/\とこどものしゆせまちかねる
神のをもわくこればかりなり   四号65
教祖がお望みなのは、おつとめとおさづけで陽気ぐらしに一歩でも近づくことではないかと思わせて頂きます。

 

 

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