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続いてこそ道である

 先月は立教の元一日の話をしましたが、今日はそれから176年が経ちました。今年は立教百七十六年です。
教祖一人から始まったこのおみちは、今では信者数は数百万となっています。
今の真柱様は教祖から数えて六代目です。
会社に例えてみると創業者から三代以上続いている社長というのは稀だと思います。たいていは二代目や三代目は会社を潰したり、社長を交代しているのです。
また、会社などの組織だけでなく、信仰も二代三代と続ける事は難しい事です。初代がいくら熱心に信仰しても、子供や孫に伝わらない事があります。ここでいう信仰とは、お葬式や先祖を祀っているいるだけの信仰ではありません。
私達自身の信仰を続けていく事はなかなか難しい事です。ましてそれを子供や孫に伝える事はもっと難しいのです。
それは、初代の頃は反対や攻撃もあったでしょう、親子の縁を切られた事もあったでしょう。また、人を見ると、なんで天理教を信仰しているのにあんな事をするんだろう、と思う事もあるでしょう。一生懸命信仰しているのに、何で思うとおりにならないのだろうと思う事もあるでしょう。
でも、教祖は『石の燈籠に生えた苔のような信仰をしてくれ』と仰っています。信仰の喜びは一年や二年で分かるものではないのです。十年、二十年、三十年と経って、だんだんと分かってくるです。ですから続ける事が大事です。
教祖のお言葉に、
一代より二代、二代より三代と理が深くなるねで。理が深くなって、末代の理になるのやで。人々の心の理によって、一代の者もあれば、二代三代の者もある。又、末代の者もある。理が続いて、悪いんねんの者でも白いんねんになるねで。
と、あります。またおさしづに
続いてあってこそ、道と言う。続かん事は道とは言わん。 明治39年5月21日
ともあります。
続いて信仰していけば、親神様は必ずご守護をお見せ下さいます。それを結構と受け取る事が出来れば、二代三代と繋がる理が出来るのだと思います。

 

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