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小さな違いと大きな違い

 人間は不思議なもので、大きな違いには意外と気づかずに、小さな違いに気を使い心を痛めているのです。

 子供は特にそうです。子供の世界は家庭と学校であり、核家族化が進んだ現在は家族は両親と兄弟だけ、中には一人っ子で片親という場合もあります。また、学校では同級生という同年代の子との人間関係が殆んどで、異年齢の子との活動があまりありません。

 そんな家庭や学校では身体的にも精神的にもあまり差が無く、かえって小さな違いを気にするようになります。いじめる子もいじめられる子も同じく、小さな違いを大きく感じて、いじめたり、いじめに我慢したりするのではないでしょうか。

 おじいちゃんやおばあちゃんと一緒に住んでいる子は、兄弟の多い子は、隣近所の年上の子と一緒に遊んでいる子は、おじいちゃんやおばあちゃん、兄弟や年上の子と自分の違いが分かるので、同じ年齢の同級生と自分との違いをあまり感じないと思います。

 だから、今の子供達にとって、異年齢の子供達と遊んだり活動したりするのが大事になります。天理教では少年会活動で、異年齢の子供達の活動を行なっています。具体的には子供おぢば帰りを頂点に、教区や支部、各教会で行事や月次祭参拝等がそれです。

 また、先人は次のように話しています。

 「闇の夜に、ちょうちんひとふり借りても、どれくらいありがたいと思うか。又、うれしいことであろうか。かならず、借りた人には厚い礼を言うのに違いないでしょう。

 このことを思えば、日々常に休むことなくお照らし下されている月日様のご恩は、どれくらいありがたいものか、もったいないものか、言うに言われず、例えるに例えようのないものであります。

 けれども、人間というものは、恩に馴れやすいもので、あまりご恩が大きいから、日々その恩に馴れてしまって、なんとも思わないようになるものであります。ちょうど、頑是ない子供のようなもので、日々父母の大恩をうけていても、それはあたりまえのように思って、格別ありがたいとも思わぬが、他人に何か物でも貰ったときには、あの人は良い人だ、嬉しい人だ、と思って喜んでいる。その頑是ない子供でも、親の恩を少しも知らないのではないが、恩に馴れてしまって、なんとも思わないのであります。」

 小さい恩に感謝する事もさることながら、親神様の大いなるご恩に感謝し、互い立てあい助け合いの心で通りたいものです。

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