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いのり

 スマトラ沖大地震と津波の被害を受けたインドネシアのバンダアチェで、家も道路もみんな壊れてしまいました。その土地に住んで被害を受けた人に、今何が一番欲しいかと聞きましたら、まず、「礼拝所」がほしいと言っていました。いまだに行方不明の人が多数あり、早く見つかるようにと「祈り」を捧げたいというのです。

 日本人の場合はどうでしょうか、おそらく家や道路を早く何とかして欲しい、というのが一般的でしょう。自分の家はどうでもいいから、お寺や神社を先に復旧して欲しい、と言う人はまずいないでしょう。
これは、宗教の違いもあるでしょう。インドネシアの人が、殆んどはイスラム教徒だそうですが、モスク(イスラーム教徒が一緒に礼拝することの出来るイスラム寺院)をそこにお参りするみんなのものと考えているからでないでしょうか。同じ事がキリスト教徒におけるキリスト教会等にも言えるでしょう。

 日本のお寺や神社はどうでしょうか。みんなのものと考えているでしょうか。おそらく、お寺は僧侶が管理するもの、神社は神主が管理するものと思っている人が、殆んどではないでしょうか。そして私達は時々お参りすればいいと思っている。

 こうしてみると、信仰とは何かと考えさせられます。

 信仰のしかたには二つあると思います。一つは、インドネシアのイスラム教徒のように、アラー(イスラム教で万物を支配する唯一の神)という神に対して崇拝し信仰する。もう一つは多数の日本人のように、神や仏や教理よりも、自分を導いた人に対して信仰する。

 天理教でも二つのタイプがあると言えます。ただひたすら親神様に対して信仰している人と、会長さんを見て、人間性というフィルタを通して信仰している人とがあります。どちらが本物の信仰かと言えば、前者だと思います。何故なら、信仰の基本は「祈り」にあるからです。祈りは人に対して行うのではなく、神様に対して行うことだからです。

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