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言う気は勇気

 先日(11月1日)青森教区の修理人三濱善壽先生の御巡教を頂きました。今回は教会家族だけへのお仕込みで、信者の皆さんにはお声を掛けませんでした。

 お話の中で、
「来年はいよいよ教祖百二十年祭の年となります。この時旬に、信者の皆さんには一人も残らずおぢばがえりをして頂くよう、声を掛けてもらいたい。声を掛ける事、言う事は勇気が要ります。つまり『言う気は勇気』です。」
と言われました。

 この『言う気は勇気』は、毎日の生活の中でも同じ事が言えます。

 我々は、相手が嫌がる事、怒る事は、たとえそれが相手の為になる事であっても、言う事をためらいます。逆に、他愛も無い事や相手が喜ぶ事は安易に言えます。でも、相手の事を本当に考えているならば、間違っている事や知らず知らずに付いた悪い癖性分を注意する事は必要です。

 人は自分の事は意外と知らないものです。長所はともかく、短所は他人に言われないと気が付かないものです。ですから、相手に自分の短所や癖性分を言われると、大抵の人は怒るでしょう。

 この相手の短所や癖性分を注意してあげるのには勇気が要ります。怒られたり、ひょっとしたら絶交する事にもなりかねません。ですから、相手に「間違っているよ」と話すことは、本当に相手の事を思っていなければ出来ません。いや、本当に相手の事を思って相手に注意する事は、いつかは必ず相手の心に伝わります。そしてそこには神様の力が必要です。

 御神言に

 わからん子がわからんのやないで。親の教えが行き届かんのや。

 と、あります。注意をするのは一回や二回で諦めるのではなく、分かってくれるまで根気良く続ける事です。言う気は勇気そして根気です。

 おみちでは、朝夕のおつとめで、悪しき事は自分の胸(こころ)に有ると教えています。おつとめをする事により、自分の悪しき心遣い(ほこり)を払うことが出来ますし、自分の癖性分を注意された時に、素直に聞くことが出来るのです。

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