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奇跡

 奇跡とは「常識では考えられない神秘的な出来事。既知の自然法則を超越した不思議な現象で、宗教的真理の徴と見なされるもの。」と広辞苑には書いてあります。

 神様を信じるか信じないかと問われた時、奇跡を見たら神様を信じると言う人がいます。では具体的に奇跡とはどう言う事かと重ねて問われると、たとえば足の不自由な人が杖無しで立ったとか、末期の癌で医者にあと数ヶ月の命と言われた人が直ったとかと言います。

 私も二十歳ぐらいの頃は神様を実感出来なかったのです。おみちを信仰するきっかけは、身上でも事情でもなく、親が信仰しているから、教会に生まれたからという心もとないものですから、私の信仰はいつもフラフラしていました。神様を信じ、確固たる信仰の元に神様の御用、教会の御用をしていたのではなく、ただなんとなく毎日を送っていました。

 でも、それじゃいけない、もっと自信の持てる信仰をしなければ、神様を身近に感じなければと思い、どうしたらそれが出来るのかと考えました。おみちの本しか読まないとか、自分の喜びの為だけにお金を使うことはしないとか、今考えたら馬鹿げた事ですがその当時は真剣でした。

 おみちの友人は言います、不自由しなければ、苦労しなければ本当の信仰はできないと。でも教祖は「このみちは身を苦しめて通る道やないで」と仰っています。水垢離や断食をするのが信仰ではないのです。

 二十九歳で布教の家に行かせてもらい、布教の真似事をしましたが、おたすけを通して少しは神様の不思議を感じさせてもらいました。しかしその気持ちは長くは続きません。自分の身上や事情をおたすけいただいて信仰に入った初代様とは違います。

 最近、教会で身上お願いをしている方で、会長さんもたびたびおさづけを取次ぎに行っているのですが、脳の障害で直るのが無理だろうと医者に言われた人が、不思議なことに自分の意思で身体を動かすようになって来たのです。この話を聞いた時、これこそ親神様の御守護だな、奇跡だなと思いました。でも少し考えてみましょう。寝たっきりの人が身体を動かすようになるのが奇跡なら、毎日何不自由なく身体を動かせるのは、身上を使わせてもらえる事は奇跡の連続ではないでしょうか。私達は奇跡の中で生きているのではないでしょうか。

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