
ヨーロッパ滞在記
2 ドイツで初めて
八日、今日はドイツで初めて天理教式でお葬式を勤める日です。会場はミュンヘン市の葬式専門の施設でオストフィードホフ葬儀場(Krematorium ost-friedhof)という所です。
10時から行うのですが、30分程前に(本来は5分前でないと入れないのですが、今回は準備をしなければならないとお願いして早く開けてもらいました)会場に入れてもらい色々準備をしました。台は会場のテーブルをお借りして、御霊の社と三方、皿等はパリのヨーロッパ出張所からお借りしました。棺は木ではなくがっちりした物で、日本のように顔を見てお別れすることは出来ません。その周りに多くの花が飾られていました。
まずドイツ式セレモニーで、荒関隆さんの友人二名の追悼の挨拶がありました。もちろんドイツ語で話されたので私は何を言ったのかは分かりません。一人はキリスト教の牧師さんだそうです。
次にいよいよ天理教式の告別式です。厳かな中にも柏手の音が静かに響きました。
私は払いの言葉を言上しましたが、建物全体が響くような構造になっているのか、まるで良い音響システムを使って話しているような感じでした。
続いてもう一人の斎官が払いの行事を行いました。
次に斎主が告別の祝詞を奏上しました。故人のドイツでの布教を始めた時から今に至るまでの歴史を淡々と述べました。その後その祝詞のドイツ語訳をドイツ語の通訳をして下さった志水さんがドイツ語で披露しました。
特筆すべきは、真柱様のご弔電が届いた事でした。ご弔電のドイツ語訳が報告されました。
後日、荒関美智子(個人の長女で喪主)さんは、この告別式を見た参列者の方々(全員ドイツ人)は感銘されたと話しています。

ヨーロッパ滞在記
1 急な出発
私は、突然の大教会の御命により、五月六日から十六日まで、ドイツのミュンヘン及びフランスのパリへ行って来ました。
それは何故かと申しますと、大教会の直轄の出張所がミュンヘンにありますが、その所長である荒関隆さんが出直したため、ミュンヘンでお葬式をする事となり、その斎官のひとりに選ばれたからです。
でも、私が特別優秀だからと云う訳ではなく、たまたまパスポートを持っていたからにすぎません。でも、出発には苦労しました。月次祭の事を頼んだり、仕事の予定を変更したりと、電話を掛けまくりました。
ドイツでの天理教の布教は大変厳しいものです。キリスト教が国教なので他の宗教を信じる事は難しく、まして布教することは尚の事です。荒関隆さんは、そのドイツで天理教の布教の公認をとった方でした。
六日に青森を出発し、夕方天理に着き、その日は詰所で一泊しました。
七日は関西国際空港を11時20分発のエアーフランス航空の飛行機で、約12時間掛けてパリのドゴール空港に午後5時20分頃着きました。計算がおかしいと思われるかもしれませんが、日本とフランスでは時差が七時間(サマータイムなので、本来は八時間)ありますのでこの時間となります。
このドゴール空港を21時5分発のルフトハンザ航空の飛行機で、ドイツのミュンヘンへ飛び、23時10分にミュンヘン空港に着きました。その日はホテルに泊まりました。

去る五月六日の善き日に、四代会長就任奉告祭が盛大に行われました。
当日は教会にて祭典が執り行われ、その後ホテル青森に会場を移して祝賀会が開催されました。
祭典はおつとめ奉仕者二十四名、参拝者三十名の総勢五十四名が、陽気におつとめを勤めました。
その後、大教会長より御講話があり、会長を始めようぼく一同は緊張の中お話を傾聴しました。
最後に、会長がお礼と決意表明をいたしました。
祝賀会では、打って変って和やかな雰囲気で、教区長のご祝辞があり、支部長の乾杯の音頭と続きました。
余興では、同じ油川に拠点を持つ龍神太鼓保存会の方々が、迫力のある演奏を披露して喝さいを浴びました。その後高橋咲子ちゃん、陶子ちゃんの歌でカラオケ大会の幕を開け、楽しいひと時を過ごしました。
最後に、予定外の三本締めの要望がありハプニングの中お開きとなりました。